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シュタール( Georg Ernst Stahl 1660 – 1734 ドイツ)

シュタールはドイツのAnspachで生まれた。 1683年にJena 大学の医学部を卒業し、1687年にDuke Johann Ernst of Sachsen Weimar の宮廷医師となる。 1694年から1716年までHalle大学の医学部教授の職に就く。 またBerlinに居城を構える、KingFriedrich Wilhelm I of Prussiaのお抱えの医師となる。

 化学者としては、フロギストン説の提唱者で燃焼化学の歴史の中で重要な一歩を築き、後世に名を残す。 フロギストン説は同じドイツの化学者ベッヘル( Johann Becher 1635 – 1682 ) が燃焼という現象は「何かが逃げていく」と考えていた。 それを受けてシュタールは、その「何か」をフロギストン ( phlogiston )「ギリシャ語で火の精霊」と抽象的でなく、正しいかまた正しくないかは別にして、1703年に強く提唱したことは、次の燃焼化学のステップ( milrstone )として重要な意義を持つ。

 物が燃焼する事を、我々は日常目の当たりにするが、観察(実証)の結果、炭に例えるなら、燃焼の結果、我々は白い灰になったと考えるが、シュタールは炭が燃えたのではなく、炭に含まれていたフロギストン なる物が熱により失せたとシュタールは科学者としての頭で考えた。

何故なら、炭ばかりでなく、木も、石炭も、紙も同じような現象が観察されるからで、そこに一般性を見出そうとした。 また別の例なら、空気中でボールを、木の壁、コンクリートの壁に向って投げると穴が無い限り、必ず手前に戻って来る。 我々は簡単に壁が有るから戻って来たと考えるが、科学者は、そのように考えずに、空気と壁の材質のインピーダンスの差が有るからという一般性を与えて説明する。 シュタールのフロギストン説は大化学者ラヴォアジェ( Antoine Laurent Lavoisier フランス)が1776年に「新燃焼理論」を確立するまで、この説は、シュタールの著書、1697年「Zymotechnia fundamentalis sive fermentalionis theoria generalis」に系統的、体系的に秩序立って説明されたので、18世紀の科学者からはほぼ1世紀に亘って歓迎された。

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