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ジョン・ネーピア ( John Napier 1534 – 1617 イギリス 数学者、科学者 )

1614年に最初の対数表を作成する。 ネーピアは エジンバラ( Edinburgh、England )で生まれる。 幼少の頃の事は知られていない。 13歳でセントアンドリュース大学で宗教学を学ぶ。 ネーピアは生来、厳格なプロテスタントであった。 ネーピア自身にとって最も大切な業績は1593年に著作した 「 the Plaine Discovery of the Whole Revelation of St. John 」聖書の黙示録である。

ネーピアはセントアンドリュース大学で数学を学んだが、むしろ興味があったのは、イタリア、ネーデルランド、ヨーロッパ各地を訪ね古典文学に触れる事にあった。 ネーピアは数学を自身の趣味として身に
つけた。 ネーピアの対数( logarithms ) の研究はGartness、Edinburgh北西の片田舎で過ごした時に執筆された。 ネーピアのラテン語の著作「 Mirifici logarithmorum canonis descriptio 」は1614年に出版され、2年後の1616年にEdward Wrightによって英訳された。 この偉大な発見「logarithms 」の背景また思索の過程については、ネーピア自身の序文に書かれている。 

ネーピアは1617年に一生を終えるが、この「logarithms 」について、当時 the Gresham College 、London ( 25年後に the royal society の誕生の地)で幾何学の教授をしていた ヘンリ・ブリッグス ( Henry Briggs )は天文学に興味を持っており、天文学における軌道計算のための、科学者の無味乾燥な無駄な膨大な計算に、この「logarithms 」が救世主として大きな役割をなすことを見抜いていた。 
 
ブリッグスは1614年にラテン語の著作「 Mirifici logarithmorum canonis descriptio 」を読みに強い衝撃を受けたが、ブリッグス自身も独立に対数を見出しており、1602年に「 A Table to find the Height of the Pole 」をまた1610年に「 the Tables for the improvement ofNavigation 」を著していた。

ブリッグスは1615年、1616年と2度、London からネーピアが住むEdinburgh まで、今では汽車で4時間の所を、馬車で4日掛けて訪問している。 1度目の訪問の時にはブリッグスはネーピアの家に1ヶ月滞在し、議論したことは対数の「底」の問題で、Log1 = 0 でなく、Log10 = 1に改めるべきではないかに集中した。 

ネーピア死後の1617年にLondonでブリッグスは「 Logarith morum Cilias Prima 」を著し、また1624年に「 mathematical Treatise Arithmetica Logarithmica 」を著した。 ブリッグスは1620年にユークリッドの「原典」( the Elements )の英訳解説書6巻を Oxford出版社から刊行している。 

このネーピアの対数はケプラーの惑星軌道計算、ニュートンの万有引力の法則の発見に大きな貢献をした。 200年後のラプラスもこのネーピアのラテン語の著作「 Mirifici logarithmorum canonis descriptio 」を数学史に残る金字塔と賞賛している。

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