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ハンス・リッペルスハイ ( Hans Lippershey 1570 – 1619 オランダ)

 ハンス・リッペルスハイはドイツのWeselで生まれ、オランダ( Netherlands )に移住し、ミッテルブルフ( Middleburg )で「めがね」業を営む。 MiddleburgはNetherlandsの南西部Zeeland州に位置し、絵画、工芸などの輝かしい地方都市であったが、一方、暗い側面としてAmsterdamと並び大航海時代からの尾を引く、大西洋を渡る新生大陸への最大の奴隷貿易港であった。

 ハンス・リッペルスハイは店でレンズを使って遊ぶ子供たちの、喜ぶ歓声に、ふと自身、同じようにレンズを組み合わせて覗いてみると、驚いたことに、近くの教会の屋根の風見鳥が肉眼で見るより明らかに大きくかつ鮮明に見えた。 これ等二つのレンズを筒の両側に固定し、望遠鏡( telescope )の原型を作り、「 kijker 」と名づけた。 意味は「 looker 」である。 これをベルギー政府( the Belgian government )に1608年に特許の請願をするが、既に公知な事が理由で却下される。 

 ただ、誰が最初に望遠鏡を発明したかとなると、この残された特許請願書によりハンス・リッペルスハイとされている。 他の説では、1589年にナポリ( Naples )のGiambattista della Porta( 1535 – 1615 :Portaがライフワークとして50歳の時に出版した、博学史20巻の17 巻の7章は光学について、10章が問題のtelescopeについて書かれている)、Netherlands北部の町AlkmaarのJacob Metius( 1571 – 1635 )、同じMiddleburgのSacharias Janssen( 1588 – 1632 )もオランダ議会( the States General )にtelescopeの発明について疑義を申し立ている。

ガラスは古代からあり、レンズに使われるような透明なクリスタル(水晶)的なガラスは12世紀頃イタリアのベネチア( Venice )で作られ、後にチェコのボヘミア( Bohemia )、フランスのバカラ( Baccarat )、オランダ、イギリスへと広がる。 オランダでのガラス製造技術はイタリアから導入されたが、レンズを組み合わせるアイデアはこのMiddleburgで始まったものと思われる。 

 余談になりますが、強化ガラス「オランダの涙またはPrince Rupert’s drops 」の製造また現在でも実験科学で使われる静電気を蓄えるライデン瓶( フランクリンが雷雲の中に凧を飛ばし静電気を確認した実験に使われる )はオランダのライデン大学で発明された。

 ハンス・リッペルスハイは軍用にtelescopeを製作し、また新たに、複合式顕微鏡( the compound microscope )また双眼望遠鏡( the binocular telescope )も試作している。 これを伝え聞いたガリレオも,1610年には自作し、月面、惑星また太陽の黒点などの観測をはじめている。  Telescopeの日本への伝来も意外と早く、徳川家康にイギリス国王ジェームス一世による使節団のジョン・セーリス( John Saris 1579 – 1643 )が1613年に献上したと言われており、徳川美術館に所蔵されている。 

 この後、ケプラーの考えにより実像と虚像が上下( up – down )逆転しないようにした現在の形に近いものにした。  それから長い年月の後、現代のすばる望遠鏡まで発展してきて、45億光年先の銀河系誕生はおろか140億光年先の宇宙誕生を探るまでになってきている。

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