« ジョセフ・ブラック ( Joseph Black 1728 – 1799 イギリス)  | メイン | ペスタロッチ ( Heinrich Pestalozzi 1746-1827 スイス ) »

プリーストリー ( Joseph Priestley 1733 – 1804 イギリス)

プリーストリーはFieldhead in Birstall Parish、Leedsで洋服仕立て屋の家に生まれる。 1745年にラテン語を中心とした中等学校( grammar school )に入学する。 当初、ラテン語、ギリシャ語を学び、次第に物理学、哲学、幾何学、数学そして古代東洋の言語も学ぶ。 1765年にEdinburg大学から法学博士号を取得する。 また科学および政治の分野での研究で、プリーストリーは自身の電気の研究でBenjamin Franklin( 1706 – 1790米国における政治家、物理学者、外交官)とも身近な友人でロンドンで会っている。 

プリーストリーの最も有名な科学的研究は1770年代におけるガスの特性についてであった。 住まいの近くに醸造所があり、容易に炭酸ガス( carbon dioxide )を入手でき、最初の化学文献は炭酸水の製法についてであった。 これにより、あらゆるガス( airs )に興味を持つようになり、最終的に酸素を始めとして8つ(実際は3つ)のガスの特性を明らかにした。 

酸素については、1774年に酸化第二水銀を500℃まで加熱することにより、可逆反応により「何かわからないガス」が得られ、そのガスの中でねずみが生きていらる事、またそのガスは蝋燭の火をさらに激しく燃やすことを観察をし、当時はフロギストン説の時代であったので、プリーストリーはこのガスを「脱フロギストン空気」とした。 後にこのガスは「酸素」であるとラヴァジェにより名称された。

プリーストリーは独立派教会の牧師であったため、イギリス国国教会の暴徒により1791年自宅、蔵書他を破壊された。 1794年に米国のPennsylvaniaに家族ともども移住することになる。 1804年に亡くなるが、18世紀を代表する科学者の一人である。プリーストリーばかりでなく、イギリス国国教会からRobert Browne等による分離派改革運動は国家により弾圧され、信仰の自由を求めて一部は1620年代に米国に渡る。 イギリスに残った分離派は独立派となり、1642-1649年のピューリタン革命で、オリバー・クロムエルを指導者として中心的な役割を果たす。

 余談になりますが、新島襄も幕末に函館より密出国して、米国で分離派が設立した大学のひとつアーモスト大学で学び1874年に帰国し、翌年、京都に同志社大学を設立しました。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)