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ギルクリスト・トーマス( Gilchrist Thomas 1850-1885 イギリス)

 トーマスはLondonに生まれ、当初医学を志したが、生活のため医学への道を断念余儀なくされ、裁判所に勤務する傍ら、夜間独学で化学を勉強し、その中で20年間製鉄家が取り組んで果たせなかった鉄からの燐成分の除去に取り組むことになる。 

 Bessemer法でもSimens-Martin法でも鉄鉱石に含有する不純物、燐の除去は出来ず、燐は鋼の延性を阻害し、その侭では実用に耐えられないので燐含有量の少ない鉄鉱石を選ばなければならなかった。 ヨーロッパで採掘される鉄鉱石の9割は高燐含有鉱石でした。 

 また転炉炉壁の耐火煉瓦は珪石で作られていましたので、それに含まれる不純物の燐も問題にされていました。 この燐成分を取り除く方法として石灰を混入すれば、燐成分は燐酸としてスラグに含ませて除去することは可能であることは知られていましたが、塩基性の石灰が酸性転炉の炉壁と激しく反応し、転炉の寿命を損ねました。 

 米国では燐含有量の少ない鉄鉱石が産出されたので転炉は大いに利用されました。 それゆえ、ヨーロッパで無尽蔵に採掘される多燐含有鉄鉱石が利用できればと考えたのがトーマスでした。 トーマスは従兄弟で大きな製鋼所で化学技術者として勤務していたPercy Gilchristと共同してBesse-mer法の炉内壁に塩基性レンガを用いて鉄鉱( iron ores )に含まれる硫黄不純物( phos-phorus impurities )を除去するThomas-Gilchrist processを1875年に考案した。
 
 このBessemer法の炉内の高温1600℃に耐えられる融点2800℃の塩基性レンガ「生石灰( 酸化カルシューム CaO )と酸化マグネシューム( magnesia また magnesian limestone )を用いた」の開発が焦点になった。 このトーマス法の発案により、フランスードイツ国境地帯のミネット鉱山の高燐含有鉱石が利用されるようになり、フランスのLorraineードイツRuhr地域の製鉄業は栄えました。
 
 余談になりますが、フランスのLorraineはドイツ語圏で、ここで生まれたフランスの政治家Robert Schumanが1950年に、この鉄鋼、石炭のフランスのLorraineードイツRuhr地域一帯を両国管理下に置くとした「 the Schuman Declaration」は有名である。 

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