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ダルトン ( John Dalton 1766-1844 イギリス )

 ダルトン はEaglesfield、Cumberland of England で生まれる。 ダルトンの家系は英国キリスト教会派でなくキリスト教クエイカー派のためダルトンは優秀であったが、Oxford大学、Cambridge大学への入学もまた公的機関の官僚にも、学会への入会もできなかった。 ダルトンの一生に暗い影を落としたキリスト教世界を背にした旧体制下のイギリス社会で活躍した化学者、数学者でした。 1642年のフォックス( George Fox 1624-1691 イギリス 宗教家 )の項を参照。 

 ダルトン は12歳でCumberlandのクエイカー派が創立した学校へ2年間通い、その後、Kendalの学校に兄と共に12年間勉強をした。 Manchesterに新しく設立されたCollegeで数学と自然哲学( natural philosophy )を教えていたが、1800年に辞職しManchesterの文学及び哲学学会の秘書官を務め、傍ら数学と化学を私的に教授していた。 1817年から哲学学会の会長を晩年まで務めた。 

 ダルトンの人生の初期は数学と気象学に費やされた。 ダルトンは1787年から人生の晩年まで、ダルトンが住む湖畔地方の天気の気象学的変化を記録し、その記入事項は20万件に及んだ。 その記録は1793年「 Meteorological Observations and Essays 」として出版された。 気象の記録の中で、特に1788年に起きたオーロラ( aurora )に大きく興味を示しオーロラ現象とその輝度(大気中の電気障害によって変化する)について観測を始め、結論としてオーロラ現象は地球の磁力に係わっているとした。 また気象学の観測の中で、貿易風は大気の温度変化と地球の自転に係わる事も指摘していた。また降雨、雲の形成、大気中の湿度分布及びその特性についても触れている。 

 ダルトン自身また兄弟も、紅緑色盲( red and green color blindness )であったため、色盲についても研究し、1794年に「 Extraordinary Facts Relating to the Vision of Colors 」の著作を残している。 現代では色覚異常の原因については解明されているが、ダルトンはその著書の中で眼球内部の液体の変色に因るものとしている。 ダルトンの遺言に死後、眼球を摘出してその事実を確認する事を書き添えている。 ダルトンの摘出された眼球は現在もthe Royal Institutionに保存されている。 

 当初フランスで色覚異常症をダルトンの名を冠せDaltonismとされ、Daltonismは病理学的に先天性紅緑色覚異常症を指す。 ダルトンは生涯、色々の研究をしてきたが、中でも私たちが高校の化学で習う「気体の分圧の法則」で知られている。 異(同じ)なる二つの気体を混合した後の気体の圧力は、混合する前の二つの気体の個々の圧力の和になるという経験則である。 

 ダルトンには、まだ分子の考えは無く、原子レベルでの仮説で、原子と原子が反応して分子になる場合については、1808年のゲイリュサック( Gay Lussac )の「気体反応の法則」、アボガドロ( Avogadro )の「分子説」を待たなければならなかった。 

 またダルトンは元素記号及び原子量を定義した最初の化学者であった。 いずれにしてもダルトンは現象( facts )と着想( ideas )を統合( synthesize)することに掛けては天才であった。 私生活におけるダルトンは結婚にも恵まれず、語らう友人も無く、クエイカー派ということもあり、ただ深い思索に耽る孤独な一生であった。

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